みねちんにっき(仮)

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”この世界がきみのために存在すると思ってはいけない。〜”

http://urarara.blogspot.com/2009/01/twitter.html(「あるTwitter中毒者の心的変化」)を読んでいたら、ある小説の一節を思い出した。
内容にまったくつながりはない。どちらかというと、中毒話を書いた人に読ませたくなったというだけのこと。
正確な文章はどうだったっけと思ってネットで探したら出てきたので、
芥川賞の選考会議で要不要が問題になったという、その部分を転載する。

 この世界がきみのために存在すると思ってはいけない。世界はきみを入れる容器ではない。
 世界ときみは、二本の木が並んで立つように、どちらも寄りかかることなく、それぞれまっすぐに立っている。
 きみは自分のそばに世界という立派な木があることを知っている。それを喜んでいる。世界の方はあまりきみのことを考えていないかもしれない。


 でも、外に立つ世界とは別に、きみの中にも、一つの世界がある。きみは自分の内部の広大な薄明の世界を想像してみることができる。きみの意識は二つの世界の境界の上にいる。
 大事なのは、山脈や、人や、染色工場や、セミ時雨などからなる外の世界と、きみの中にある広い世界との間に連絡をつけること、一歩の距離をおいて並び立つ二つの世界の呼応と調和をはかることだ。
 たとえば、星を見るとかして。


 二つの世界の呼応と調和がうまくいっていると、毎日を過ごすのはずっと楽になる。心の力をよけいなことに使う必要がなくなる。
 水の味がわかり、人を怒らせることが少なくなる。
 星を正しく見るのはむずかしいが、上手になればそれだけの効果があがるだろう。
 星ではなく、せせらぎや、セミ時雨でもいいのだけれども。


スティル・ライフ池澤夏樹(中公文庫・他)冒頭より

ここから続くのは、異邦人のようなある不思議な男と同居した数ヶ月の記録。
一時間ドラマになったことがあったっけ。そのときは、男性二人ではなく、女性二人の話だった。淡い記憶がある。
もう20年も前の小説だが、この独特の、静謐な空気にひたりたくなってきたので、あとで部屋を荒らそうと思う。


自分とTwitterに関して言えば、ここのところはもっぱら、暇がなくてのぞけない状態。
レスがことごとく数時間後ですみません。
ある意味、ミニブログで正しい使い方なのかも。
意外と見てくれているもんだってわかったので、最近は気楽に楽しんでいる。

スティル・ライフ (中公文庫)

スティル・ライフ (中公文庫)


(2009/11/06 今更ですが追記。ぜひコメ欄もごらんになってみてくださいね。)